スラッガー

三日坊主にしてもつまらないのでなるべくマイペースに綴って行こうと思っているのですが、始めたばかりのものはやっぱり楽しみで楽しみで。

今まで私がしてきたものの多くがまさしくこれなのですが、どんな趣味もいつの間にかやる気がなくなってるんです。

小学生の頃に始めた将棋や陸上競技も、中学生に上がったときに入ったサッカー部も、転校だとか卒業だとかをきっかけにやめてました。(身長は関係ない)

人生の中の大きなイベントに沈められる程度の興味だったんだと思います。

 

ツイッターもそうでした。呟くことで何が変わるか、自分にとってその行為が何を示すのか、考え出すとそれの価値がなくなっていくのです。

いつしか、惰性でツイッターをしている自分に気付き、距離を置くようになります。

 

でも、ツイッターは私の考えるものよりずっとずっと大きなものって、だんだん分かってきました。

たまに顔を出すと届くお気に入り登録やリツイートの通知、時にはリプライが飛んでくることもあります。

あの瞬間は私にとってはかけがえのないひと時で、誰かが自分を意識していることを強く訴えかけてくれます。

特に、リプライに乗せて訴えかけてくれるメッセージの一つひとつはとても心に染みてきます。

 

あの瞬間、あの行為は、理由も目標もない私に居場所をくれる道標となってくれます。

あの瞬間、あの行為に、ツイッターを続けていたいと心から思わされます。

そこで、ツイッターを続けるために自分に制約を加えました。

「1日10posr」

つぶやくことでみんなに喚起できるので、とても自分を束縛しやすかったです。

それは、自分自身を縛り付けるという役割の、これ以上ない担い手になってくれました。

ただ、私にとってそれはあまりにも大きすぎる目標だったのです・・・

今は1日1posrで頑張ってます。これでもすごく大変なんですけどね!

 

ですが、実は最近無機質なお気に入り登録が増えてしまっています。

お気に入り登録は「あなたを意識している」ということを訴えてくれるものと捉えていたのですが、

どうもお気に入り登録はそれとかけ離れたものに進化してしまっているのが現状です。

「お前のことをいっぱいふぁぼっているぞ」「誰よりも多くのツイートをふぁぼっている」という結果だけが評価されてしまっていて、

私に訴えかけてくれていた過程は、完全に切り捨てられてしまっています。

アイデンティティを自らの手で作り出そうと努力しているのは分かるのですが・・・

1つのお気に入り登録に価値があると思ってしていたツイッターですが、毎日つぶやいているとどうも先のような思惑を感じざるを得ません。

 

と愚痴っておいてなんですが、かく言う私も昔は「誰よりも多くのツイートをふぁぼっている」という目標を掲げて利用していたのは否めません。

そして、私のそんな軽率な行動が現状を形成している1つの要因になっているのもまた、否めません。

この環境を打破すべくなるべくお気に入り登録をするのはやめようと目論んではいるのですが、

やはりこんな環境になってしまったことに気付くのが遅すぎまして、改善の糸口は未だつかめていません。

 

始めた頃と今でツイッターに要求しているものが異なってきているのですが、

みんなでわいわい盛り上がる時間はいつになっても大切で、楽しいものです。

これからも頑張りすぎず、それでも手を抜くことなく取り組んでいきたいなと思っています。

 

 

 

畳の網の数を数えるくらい暇なときにでも読んでくれるとありがたい!